見た目の私と中身のわたし
よく、自分のことについて、見た目と中身に差があると言われることがある。
それは全然いい。
私自身も他人に興味を抱く時、その人のギャップが好きだったりするし。
しかもそのギャップに開きがあるとよりいいなと思ったりする。
いや、ここでは私自身の趣向の話ではなく、
私自身が持たれている印象についての話をしたい。
現在、私は絶賛就職活動中。
わたしは今まで生きてきた中で、あまり人ととのコミュニケーションが得意ではない。
そして自分の話をする、自分のことが話題になる、ということも得意ではない。
まあ、アルバイトは別なんだけどね。
いわゆるかなりの人見知りだし、内向的な性格だし、共通の話題がない人に自分から話しかけるのがすごく苦手。自分を曝け出せる人はそんなに多くないし、親友と言える人は2人。
顔見知りはたくさんいるけどちゃんと友達と言える人も多くない。
逆を言えば、趣味が合ったり、オタクをしているとまるで別人のように喋り出すし、心を開いている。そんなギャップもあるのかもしれないが。
つまり、わたしは”狭く深く”が好きなのだ。
何に対しても。
でも人生そう簡単にはいかなくて。
就活をしていれば多くの初めましての人と出会う。
初めましての人に自分がどういう人間なのか伝えなければならない。
ただでさえどういう人間か、自分の話をするのが得意ではないのに。
人に自分を曝け出すのが苦手だというのに。
初めましての人の第一印象ってやっぱり顔とか視覚的に見たものだと思っている。
だからこそ私は苦しむ。
決して自慢話ではないのだが、
私自身、顔面とかの見た目にコンプレックスを抱いたことがあんまりない。
顔にほくろが少し多かったり、肌があまり強くないものあって露出ができなかったり肌荒れしやすかったり。まあ思うこともあるけれど、それなりに受け入れている。
見た目を褒めてもらえることも多かったりする。
それなりにファッションは好きだし、メイクもなんとなくのこだわりがある。
こんな見た目だからこそ、「遊んでそう」とか、「キャピキャピしてそう」とか、「明るそう」とか。よくそう思われているらしい。
でも、最初のところでも分かるだろうが、中身のわたしはそんな見た目とは真反対の人間だ。
基本的にローテンション。テンションが上がる時は自分の好きなものに触れているとき。
必要以上にテンションを上げたくない。疲れちゃうからね。
引っ込み思案で、ネガティブ思考で、逃げ癖があって。
よく一人で考え込んでしまう。
人になかなか悩みを話せなくて、自分で苦しくなって。
だからといって言葉として口に出すのが怖くて、より話せなくなる。
自己肯定感が低すぎて、月のクレーターみたいに窪んでるよってゼミの先生に言われたこともある。自分に長所なんてない、短所ばかりだと思ってしまう。
そして何と言っても自分に自信がないのだ。
親友は2人とも、私のことを可愛い可愛いって言ってくれる。
友達もみんな言ってくれてる。
それはありがたいし、嬉しいことなんだけども。
自分自身では可愛いとは思わないし、見た目の私にコンプレックスがあまりないだけで、自信は全くない。
自分がやってきたこととか経験を話すと、すごいねって言われることがあるけれど、自分ではすごいとは思わないし、そう思われていることにびっくりすることもある。
そうなんですかね〜って答えてしまって、ここにもコミュニケーションの下手さが滲み出てる。
もちろん見た目が大事だという考えの人もいるだろうけど、そうでない人もいる。
それは人間関係関わらず、恋愛に対してもそうだよね。
見た目が大事か、中身が大事か。
人それぞれなんだよね。
でもそんな自分も受け入れないといけない。
中身の自信ないわたしにきちんと向き合って、認めないといけない。
しょうがない。これからもこんな自分と生きていかないといけないんだし。
何かきっかけでちょっと自信が持てるかもしれないし。
持てないかもしれないし。(笑)
私が自分のことを話すのが得意じゃないというのも、もしかしたらこの自分の自信のなさによる中身のわたしのせいなのかもしれない。
ちょっとここ最近色々考えすぎてしまって。
よくないことも沢山考えてしまって。
何もかもがネガティブになっちゃって。
人ともなるべく会いたくない。話したくない。
だって口から出るのはネガティブな言葉だらけだから。
知らぬ間に聞いてくれる相手を困らせてしまう気がして。ね。
なんだけどさ。
1人の時間は好きなんだけど、孤独は好きじゃない。
わがままだなあ。
寂しい。
っていうことをここ数週間、頭の中でぐるぐる考えている。
あー、就活どうしようかな。
何もかも放り出して逃げたいな。
何も考えない日が欲しい。
考えちゃうんだろうけどね。